鷲林寺縁起の案内板が寄贈されました


平成18年1月27日、鷲林寺縁起の案内板が新たに建立されました。今までは、西宮市・西宮観光協会が設置されていた看板があったのですが、永年の雨風によって老朽化し倒壊してしまいました。
社団法人 西宮建設協会さまのご好意により、立派な略縁起が新たに作られ、この度完成し設置されました。



鷲林寺略縁起
當寺は人皇五十三代淳和天皇の勅願にて天長十年(833)弘法大師空海によって開創された真言宗の寺院です。
観音霊場を開こうと地を求めて旅をしていた大師が廣田神社に宿泊されていたとき、夢枕に仙人が現れこの地を教示されました。それに従い入山したところ、途中でこの地を支配する「ソランジン」と呼ばれる大鷲が現れ、火焔を吹き大師の邪魔をしました。大師は木の枝を切り、湧き出る清水にひたして加持をし、大鷲を桜の霊木に封じ込めました。その霊木で本尊十一面観音像並びに、伽藍守護神として鷲不動明王を刻み、寺号を「鷲林寺」と名付けられました。
また、大鷲に化けた「ソランジン」は麁乱荒神としてまつられました。その後、貴族寺院として大いに栄え、盛時は七十六坊の大寺院に成長し、その寺領が鳴尾地方にまで及んでいたことが古文書などによって伺えます。しかし、戦国時代に入り寺領は侵略押収され、天正六年(1578)十一月に荒木村重の乱が起こり、それを期に翌七年織田信長軍のために諸堂塔はすべて焼き滅ぼされてしまいました。本尊をはじめとする仏像は瓶に入れ地中に埋め隠されていたため兵火から逃れることができました。後に掘り出されて小堂宇を建立し観音堂としましたが、その後も幾多の山津波や火災に遭い、無住の時代が長く続きました。昭和の時代に入りようやく復興され始め現在に至っています。
また時期は不肖ですが、武田信玄公が僧侶になるために得度をし、その頭髪を埋めたという伝説がある七重の石塔があり、西宮市の文化財に指定されています。


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